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(1)

6 章医療創造と患者

ーインフォームド・コンセントを中心にー

はじめに

太 田 保 之 (医療技術短期大学部教授)

宮 下 弘 子 (医療技術短期大学部講師)

近年,医学や医療に関するマスコミの報道量は著しく増加しているが,それ らの報道は大きく 3 分類できそうである。第 1 は,新しい医薬品が次々と開発 され,高度な医療技術が急速に進歩発展したことによって医療供給状況が変化 しさらに高齢化社会を迎えて医療需要状況にも大きな変動が起こり,膨大に なった医療費をどのように処理するのとかという「医療経済学」の話題であ る。第 2 は,癌などの重篤な病気を告知するか否か,あるいは脳死判定や臓器 移植などに関連した「医療の倫理」についての話題である。そして,第 3 に は,読みやすく判りやすい家庭医学記事や医療情報記事,あるいは一般向けの 薬物解説書など「医学・医療情報の公開」に関する話題である。

これらの現象は,医学や医療が医師によってだけ論議される特権事項ではな く,国民にとって次第に身近な事柄に成りつつあることを示すと同時に,医療 を供給する側と受ける側の両者に,今日までの医療の仕組みが抱えていた矛盾 と限界の解決を迫っているものとして捉えておく必要がある。

本稿では,それらの話題の中から,新しい医師・患者関係を構築するキー ワードとして幅広く認知されるようになった「インフォームド・コンセント」

という医療倫理に検討を加え,新しい医療の創造を模索してみたい。

1 節 医学の発展と医療現場における人間関係の変遷

医師・患者関係の変遷は,図 1 に示したように,医療の到達レベルを 3 段階 に区分して検討すると判りやすい。

‑ 209 ー

(2)

図 1

医療構造の変化と対象領域の変動 急性疾患モデル

ψ 

臓器中心主義・一一病気・病巣部との対決

4  CURE  自然科学的態度 救命・延命投術の進歩

慢性疾患モデル

愚者中心主義一一ー病める患者の理解(包括医療) 4 

CARE  人間学的心理学的態度

技術・物理的管理医療の進歩一→

リハビリテーションの進歩一」

│  生命の操作

↓  臓器移植・遺伝子操作

健康モデル

健康・福祉中心主義一一予防・健康の創造

ι 

SELF CONTROL  人間学的,心理学的態度

│ 相 互 参 加 型 ト ミ

(永田 . 1 9 8 5 . 著者改変)

(3)

1 .   現代医学の発展と医師・患者の役割関係 ( 1 )   科学としての医学

現代医学は人間の身体を細分化することによって進歩発展してきた。病気と は身体各臓器の細胞レベルの障害であり,その細胞レベルの障害の本態を明ら かにすること(生物学的な確定診断)が治療方法の確立に結び、つくと考えら れ,実験的な分析と実証を重ねることによって,医学は飛躍的な発展を遂げ た 。

医師が身体を臓器別・細胞別へと細かく区分して分析する視点に立つ限り,

病気に催患している人聞の個別性や多様性は無視されざるを得ないという欠陥 をこの時点から内包していた。しかしながら,患者は「人格のない無名性の存 在」であった方が,医師の誤診や誤治療を防ぐにはょいとさえ考えられていた のである。

従って,これまでの医学教育は冷静な客観的態度を常に維持することを教え てきた。つまり,素人である患者の訴えは「暖昧なものである J ことを前提に しその訴えの中から客観的な症状や所見を得て正しい診断に到達するには,

患者の感情や主観的なものは全て排除することが正しいと教えてきた。医師が 患者のひととなりに触れることは禁危であり,身体の部分臓器から得られる所 見を把握することだけに集中すべきであるとされた。それに徹する医師こそ,

腕は確かで尊敬に値する医師として評価された。

( 2 )   ヒポクラテスの誓い

医師の心構えは,ギリシャ時代から引き継がれてきた「ヒポクラテスの誓

L  リに求められていた。そこには私の能力と判断に従い,患者に利益にな

ると思う養生法をとり,悪くて有害な方法は決してとりません。頼まれでも死

に導くような薬は与えません。女と男,自由人と奴隷など,身分によって差別

をしません。医療に関すると否とに関わらず他人の生活についての秘密は守り

ます」という倫理が謡われている。 1 9 4 8 年の世界医師会によるジュネーヴ宣言

0968 年のシドニー総会で修正)をみても私は良心と尊厳をもって医業に

従事します。私は第 1 に患者の健康について考慮します。私は受胎の瞬間か

ら,人命を最大限に尊重します。たとえいかなる脅迫があろうとも,人道の法

則に反して医学上の知識を用いることはしません」と宣言されている。

(4)

( 3 )   患者の役割

役割理論で有名な社会学者ノ号ーソンズは,患者は社会からある役割を期待さ れ患者もその期待に沿って行動するという「患者の役割」について次のよう に述べている。1)患者は自分が病気であることを受け入れ,できるだけ早く よくなりたいと望んでいる義務があり, 2)専門家の援助を求め,よくなるよ うに医師に協力する義務がある。そして,これらの義務を遂行すれば,社会か ら「模範的な患者」として認められ, 1) 日常の社会的役割の責任が免除さ れ 2) 回復するまで治療を受けることができる。そして,患者の病気は患者 の責任によるものではなし患者の決断や意思によって回復するものであると は期待されない。つまり,医師に対する依存行動が承認され,通常の社会的自 立から退行する権利が保証されることになる。

ヒポクラテスの誓いにしてもジュネーヴ宣言にしても,人道的な立場から医 療行為を選択決定するのは医師の側であり,患者は人道的・献身的に尽くす医 師に全て託した方が最善である,という「善意のパターナリズム J , I 医師にお まかせ」を基調として医師・患者関係が成立していた。そのような時代におけ る患者の社会的立場を示したのが,パーソンズの「患者の役割Jなのである。

2 .   急性疾患モデルと積極・受身型の医師・患者関係

病気の種類によって治療到達目標は当然、異なり,パーソンズ流の「患者の役 割Jと医師のパターナリズムがほどよく組み合わさって極めて良好な結果をも たらす医療の到達レベルもある。

例えば,急性肺炎や胃潰療の穿孔による吐血など「急性疾患モデル」として 対応が必要な病気の場合,医師は積極的・能動的な態度で病巣部と対決するこ

とが求められるのに対し,患者は医師が告げる診断・治療・養生方法を受身的 立場で守ることが求められる。

患者の生命を直接奪おうとする病気に対しては,救命救急的処置がなされね ば全く意味がない。その時には医師の視点は常にその病む臓器に向けられてお り,パイタル・サインなど生物学的情報以外の情報(姓名・生活史・性格・価 値観・職業・学歴など,患者個人歴や社会的背景因子〉が問題になるような状 況はほとんど起こらない。つまり,患者は単に生物学的存在でいいわけであ る。そのような救命救急的医療においては臓器中心の医療」とならざるを

のJ

(5)

得ず,医師・患者聞の役割原型は,あたかも親と児童の間柄であるといえよ

3 .   慢性疾患モデルと相互参加型の医師・患者関係 ( 1 )   医療の対象領域の変化

臓器別・細胞別に分析と実証を繰り返して発展した高度医療技術によって,

救命救急的対応が必要な病気は,特に大病院でほぼ克服されるようになってき た。救急・延命技術をもっ大病院での医療が増えるに従い,その高度医療技術 の陰で,医師と患者は次第に会話を失い,ややもすれば疎遠な関係になる傾向 が生じた。

そして,急性疾患モデルにおける方法論では解決不可能な問題に直面するよ うになった。それらの諸問題は病気の種類が構造的に変化し,急性の病気から 慢性の病気へと医療の主要な対象領域が移ったことに原因していた。高血圧 症,心臓病,糖尿病などに代表される成人病の治療戦略,急性期を脱した脳卒 中患者のリハビリテーション対策など新しい医療システムを構築していく必要 に迫られたのである。

慢性経過をたどり社会的な能力障害も同時に起こす「慢性疾患モテ矛ル」の病 気は,患者が自分の病気や障害を十分理解し,規則正しく服薬したり,食事や 生活リズムを自己規制したりして,社会生活に可能な限り参加する中でコント ロールしていくべき病気なのである。ノ守一ソンズの「患者の役割」モデルは,

通常完全な回復が期待できる急性の病気には極めて有用であったが,完全な回 復が不可能な慢性的な病気には適応できなく,医師におまかせする「患者の役 害。」は無力化していった。つまり,医療的関与の責任の大半は医師から患者自 身に移ったのである。

医師は患者を病める人間として全人的に理解するという大きな原則に立脚 し慢性の病気を引き起こす要因や遷延させる要因に関する全ての情報を患者 と共同で分析を行い,長期的治療方針を患者の生活スタイルと合致した型に作 成することが求められるようになった。つまり,慢性疾患モデルには患者中心 主義の医療が必要とされ,その役割原型は成人対成人の間柄になった。

( 2 )   病気(障害〉の受容と人間学的心理学

慢性的経過をたどる病気の多くは,パーソンズの社会的責任の免除という権

‑ 2 1 3一

(6)

利は存在し得ない。患者は慢性の病気や障害と共に生きなければならない。患 者の危機は, f  (病気や障害を〉不可避な事態として諦める」という消極性から f ( 病気や障害を〉積極的に受容していく j というその過程にある。上田は,

「病気や樟害の受容とは,諦めでも居直りでもなく,病気や障害に対する価値 観の転換であり,病気や障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低 下させるものではないことの認識と体得を通じて,恥の意識や劣等感を克服

し積極的な生活態度に転ずることである」と指摘する。

医師にとって,患者が病気や障害を受容していく過程に如何に関わるかとい う問題が,医療技術と同等に重みをなしてきた。医師の役割は,生活支援型の カウンセラーのような役割に変わろうとしており,これまでよりも一層,人聞 を理解すること,人間なる存在の弱さと脆さに敏感であることが必要になって きた。

永田は,人間学的心理学の立場から,医師が認識すべき人間像は次の点にあ ると述べている。 1)人は単なる部分(身体臓器〉の和ではない。全体は部分 の和以上である。 2) 人は自分の意志を持ち,自らの責任において決断する。

人は単なる刺激・反応動物ではない。 3 )人は自分の感情や体感への気付きを もっている。その気付きを深めねばならない。 4)人は時間内存在であり,関 係内存在である。 5 )人は生きることの意味を追求する。ところで,これら 5 項目は,患者が自ら獲得すべき人間像でもある。今日の医療においては,患者

も「個 J として積極的な自律と自己の意志表示が求められているからである。

4 . 健康モデルとセルフ・コントロール

さらに今後は,病気の予防と健康の積極的創造に向けた健康・福祉中心主義 へと医療の対象領域は拡大・深化して行くであろう。

医学の進歩発展に伴った医療の各到達レベルは,医師・患者関係を含めた医 療システムの大きな転換をもたらしたといえる。

2 節 インフォームド・コンセントと新しい医療の創造 1

.   インフォームド・コンセントの起源

日本医師会生命倫理懇談会報告書をみると,インフォームド・コンセントは

「説明と同意」と訳されている。これまでの医療が「医師へのおまかせ j で

2 1 4一

(7)

あったとしても,患者は自分の病気や治療方法の説明を医師からそれなりに受 け,患者が同意したという形で治療が進められるというのが一般的なスタイル であったと思われる。決して問答無用の医療ではなかったはずである。

では,なぜこの時期に改めて「説明と同意」が生命倫理的立場から取り上げ られなければならなかったのであろうか。インフォームド・コンセントの歴史 的成立過程をまずみておくことが,この用語のもつ本当の意味を理解するため には必要であろう。

インフォームド・コンセン卜の原型は,第二次世界大戦時にドイツ・ナチス が国家的規模で行った反倫理的な人体実験を裁いたニュールンベルグ裁判の綱 領(1 9 4 7 ) にさかのぼることができる。この綱領に掲げられている精神は,

ジュネーヴ宣言からへルシンキ宣言(1 9 6 4 年)へと引き継がれた。へルシンキ 宣言は,医学の進歩は直接人聞を対象とした臨床試験に依存せざるを得ないと 明確に認めた上で,被験者の利益は学問的・社会的利益よりも優先させねばな らないという原則に立って,臨床試験の倫理を守るための手続きを具体的に示 したものとして高く評価されている。

ニュールンベルグ綱領からへルシンキ宣言(1 9 7 5 年の東京総会, 1 9 8 3 年のベ ニス総会で修正〉までは,主として人聞を対象とした医学研究における医師の 倫理性が問題とされたが, 1 9 7 3 年にアメリカ病院協会が「患者の権利章典」を 発表し,インフォームド・コンセントを「患者の権利と医師の義務」という形 で明確化した。

1 9 6 0 年代のアメリカは,ベトナム反戦運動や反公害運動など,人権思想に基 づいた種々の市民運動が起こった時代であり,患者の人権問題を通して医療の 本質を間われるという医療上の大きな転換期でもあった。

既に指摘したように,現代医学は実験的方法論によって確実な進歩を遂げた が,それでも物理学や化学などに比較すると不確実な情報体系であり,経験的 判断に依拠している部分が多い。そして,医学の発達はひとつの病気に複数の 治療方法を産み出したが,決定的な効果比較基準がないため,医師はかなり思 い切った意思決定を求められることも多い。その治療法選択過程に患者の意志 が反映していないと,医事訴訟は医師の敗訴になることが多かったという事情

もあり,医師・患者聞は法的な関係で結ぼれることになった。

(8)

2 . 患者の真実を知る権利と自主決定権

インフォームド・コンセントを「説明と同意 J と邦訳することに反対も多 い。次に示す「患者の権利章典」から判るように,インフォームド・コンセン トは「医師が患者に説明を行い,患者から同意を得ればよい」という単なる説 明と同意ではないからである。インフォームド・コンセントは, ヒポクラテス の誓い(権威主義・善意のパターナリズム〉と本質的に対立する概念、なのであ

る 。

インフォームド・コンセントの原則は,病状や,治療法などについて納得の いくまで説明を受ける権利(知る権利)と説明された治療法の中から自分が受 けたいと思う治療法を自主的に選ぶ権利(自主決定権)に存在するのである。

アメリカ病院協会の「患者の権利章典」の骨子は次のようになっている。

1)患者は,思いやりのある, (人格〕尊重したケアを受ける権利がある。

2)患者は,自分の診断・治療・予後について完全な新しい情報を自分に十分 理解できる言葉で伝えられる権利がある。そのような情報を患者に与えること が医学的見地から適当でないと思われる場合は,本人に代わる適当な人に伝え られねばならない。患者は,自分に対するケアを調整する責任をもっ医師は誰 であるか,その名前を知る権利がある。

3)患者は,何らかの処置や治療を始める前に,インフォームド・コンセント を与えるのに必要な情報を医師から受ける権利がある。緊急時を除いて,その ようなインフォームド・コンセン卜のための情報は少なくとも特定の処置や治 療,医学上重大なリスクや無能力状態が続くと予想される期聞を含まなければ ならない。ケアや治療について医学的に見て有力な代替の方策がある場合,あ るいは患者が医学的に他にも方法があるなら教えて欲しいと言った場合は,患 者はそのような情報を受け取る権利を持っている。

4  )患者は,法律が許す範囲で治療を拒絶する権利があり,またその場合には 医学的にどういう結果になるかを教えてもらう権利がある。

5)患者は,自分の医療ケアプログラムに関連して,自己のプライパシーにつ

いてあらゆる配慮を求める権利がある。症例検討や専門医の意見を求めること

や検査や治療は秘密を守って慎重に行われなくてはならない。ケアに直接関わ

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る医師以外は,患者の許可なしにその場に居合わせてはならない。

6)患者は,自分のケアに関係する全ての連絡や記録が守秘されることを期待 する権利がある。

7)患者は,病院がその能力の範囲内において,患者のサービスについての要 求に応えることを期待する権利がある。病院は症例の緊急度に応じて診察や サービスや他医への紹介などを行わなくてはならない。転院が医学的に可能な 場合でも,転院がなぜ必要かということと転院しない場合にどういう代案があ るかということについて完全な

A

情報と説明を受けた後で、なければ,他施設への 移送が行われではならない。転院を頼まれた側の施設は,ひとまずそれを受け

入れなくてはならな ~\o

8)患者は,かかっている病院が自分のケアに関してどのような保健医療施設 や教育機関と連絡を有しているかに関する情報を受け取る権利がある。患者 は,自分を治療している人たちの聞にどのような専門職種としての〔相互の〕

関わり合いが存在するかについての』情報を得る権利がある。

9  )病院側がケアや治療に影響を与える人体実験を企てる意図がある場合は,

患者はそれを通報される権利があるし,その種の研究プロジェクトへの参加を 拒否する権利を持っている。

1 0 ) 患者は,ケアの合理的な継続性を期待する権利がある。患者は,予約時間 は何時で医師は誰で診療がどこで行われるかを予め知る権利がある。患者は,

退院後の継続的なケアについて,医師またはその代理者から知らされる仕組み を病院が備えていることを期待する権利がある。

1 1)患者は,どこが医療費を支払うにしても請求書を点検し説明を受ける権利 がある。

1 2 ) 患者は,自分の患者としての行動に適用される病院の規定・規則を知る権 利がある。

3 節 目本における新しい医師・患者関係の方向性 1.日本の伝統的文化とインフォームド・コンセント

日本においては,インフォームド・コンセントを権利と義務という法的な面 から理解を迫るのではなく,一般診療の場における医師と患者の信頼関係を確

‑ 2 1 7一

(10)

立する上での不可欠な原則として定着させねばならない,というのが日本医師 会生命倫理懇談会の基本的姿勢である。医療はひとつの文化であるという指摘 を待つまで、もなく,インフォームド・コンセントが医師にも患者にも馴染まれ ていくには,西洋諸国とは異なった日本的文化環境が考慮されるのは当然であ ろう。

( 1 )   日本の文化特性とおまかせ的意志決定

インフォームド・コンセントにおいては,何を,どのように説明するかとい う医師側の意志決定と,十分に受けた説明から自己で決断するという患者側の 意志決定の在り方が大きな構成要素であることは既に述べた。

日本は「個 J の独立という点では西欧諸国とかなりの隔たりがあり,個人の 意志決定行為も西洋諸国とは異質であるという指摘は多い。意志決定行為を比 較文化的視点から考察したラドフォードらは西洋では,意志決定は個人の 内部に存在し意志決定を行おうとする動機やそれに伴う責任も第一義的には 個人に存在する。ところが,日本では,自分自身や他者について自らが独立し て決定を下すことは倣慢とは言わないまでも,やはりどこか生意気なことと考 えられる傾向にある。日本人は,何らかの行動を伴う意志決定を迫られるよう な局面に立たされると,ひるんでしまい,意志決定を避けるために,奇異とさ え思えるようなことでも行ってしまう。言葉では,ある行動を実行するように 言っていながらも,それをしないで済ませることが多い。日本人には個人的責 任感の意識というものが欠けており,彼らにあるものといえば集団的責任感の 意識だけである。たとえ個人的責任感があったにしても,日本人は決定の責任 からくる重荷を,集団あるいは他者に任せてしまおうとする」という指摘を引 用し日本人の意志決定行為と集団への準拠および満場一致主義」との関係 を検証している。

日本的「おまかせ」は,患者が医師と情緒的に結び、つくことによって,医師 の責任感を引き出そうとする,いわば心理的操作術であり,日本人の中に養わ れてきた伝統的な智恵ではないか。医師や看護婦でさえも一旦患者の立場にな るとなにも知らない」フリをするのが美風とされる傾向が存在していると 大熊は指摘している。また,手術を受ける癌患者の危機対処行動を「おまか せ」行動と患者の反応に関する視点から調査した岡谷によると,自分で積極的 に病院を選択し医師を信頼して全てを「おまかせ」する患者と医師の言われる

n x

u  

η ︐  

(11)

通りに従う「おまかせ」という行動をとった患者は,術前・術後とも平静さや 安堵感を感じているのに対して諦めておまかせ」という行動をとった患者 には緊張感・不安感・抑うつ状態・不眠・夜間せん妄などが認められたとい う。このように,医師と患者を結ぶ「おまかせ」は多様である。しかしいず れの場合も,相手に愛され,相手と一体感を求めたいという,日本人の対人関 係の基調として土居が指摘した「甘え」の心理を読み取ることができょう。日 本的「おまかせ」は,まさに医師との一体感をあてにする患者心理と「まかせ られる」医師のパターナリズムとが合いまって,医師にとっても患者にとって も極めて心地よい医師・患者関係になっていたと考えられる。

表 1

「説明と同意」に関するアンケート結果 1 .   患者への説明について,どうお考えですか。

( 1 ) あまり説明しないほうがよい 0.0% 

( 2 ) 医師として最善の努力をするのだから,患者への説明に重きをおく必要はない 0.4% 

( 3 ) 患者の事情によって,医師の裁量で説明するかどうかを決めればよい 17.0% 

( 4 ) 患者に対して,基本的なことは,医師が説明するのがよい 8 1 .  4% 

2 .   患者の同意について,どうお考えですか。

(1)特に同意を得る必要はない 0.6% 

( 2 ) 十分に説明すれば同意を得る必要はない 2.0% 

( 3 ) 事柄によって,同意を得る必要はない 40.8% 

( 4 ) 十分に説明した上で,同意を得る必要がある 55.9% 

3 .   患者の同意を得ておくのがよい事柄について,おうかがいします。(複数回答) (1)手術の場合は,同意を得ておくのがよい 93.7% 

( 2 ) 特別の検査の場合は,同意を得ておくのがよい 93.6% 

( 3 ) 特別の処置をする場合は,同意を得ておくのがよい 88.4% 

凶悪影響が生ずる恐れがある場合は,同意を得ておくのがよい 75.8% 

( 5 ) 上記の事柄についても,普通は同意を得る必要はない 0.2% 

4 .   複数の治療法がある場合に,最終的に誰が治療法を選ぶのがよいとお考えですか。

(1)説明しないで,医師が選ぶ ( 2 ) 説明した上で,医師が選ぶ ( 3 ) 医師が説明した上で,患者が選ぶ

0.5% 

20.0% 

19.1% 

η 4  

(12)

( 4 ) 患者や家族の意向をくみながら,医師を選ぶ 59.1% 

5 .   以上でうかがってきた「説明と同意 J は,英語のインフォームド・コンセントに近 い言葉ですが,あなたの経験からすると,どういうものとお考えですか。(複数回 答)

(1)これまで既に実行しており,いまさらの感がある ( 2 ) ムンテラと同じことだと思う

( 3 ) これまであまり意識してこなかった

54.7% 

14.5% 

6.3% 

( 4 ) 今後も特に意識しない 2.8% 

( 5 ) これからもっと考えて,気を付けるようにしたい 39.8% 

(日本医師会生命倫理懇談会. 1 9 9 0 . より一部掲載) ( 2 )   r 説明と同意」の実態

表 l は , 1 9 8 9 年に生命倫理懇談会が医学関係者2057 人を対象とした「説明と 同意」に関するアンケート結果(回収率は78%) のごく一部である。この懇談 会が「説明と同意 J をテーマに討議を開始したのが1 9 8 8 年であることを考える

と,このアンケー卜結果は今日まで日常診療上で通常行われていた説明や同意 の実態調査ということになろう。

患者への説明についての質問項目をみると基本的なことは,医師が説明 するのがよ L リという回答が80% を越えている。また,患者の同意に関する設 問に対しては十分に説明した上で,同意を得る必要がある」が55.9% , r 事 柄によって同意を得る必要がある Jが40.8% となり,合計96.7% に達してい る。そして,患者の同意を得ておく方がよい事柄としては手術の場合」

93.7% ,  r 特別な検査の場合J93.6% ,特別な処置をする場合J88.4% ,  r

影響が生ずる恐れのある場合J75.8% となっている。次に,複数の治療法があ る場合に,誰がそれを選択するかについての設問には患者や家族の意向を くみながら,医師が選ぶ」が59.1% と 多 数 を 占 め て お り 説 明 し た 上 で , 医 師が選ぶ」が20.0% , r 医師が説明した上で,患者が選ぷ」が19.1% とほぼ措 抗しており説明しないで,医師が選ぶ」はわずか0.5% に過ぎなかった。

これらの結果をみると,説明と同意の必要性は日常の診療場面で広く認識さ れていることが判る。しかし複数の治療法を誰が選択するかの設問に対する 回答をみると,日本においては善意のバターナリズムがなお強いことがうかが える。これは説明と同意」がどういうものかに関する設問への回答からも

‑ 2 2 0 ー

(13)

推察することができる。つまりこれまで既に実行しており,いまさらの感 がある」が5 4 .7% と高い数字を示しているが,それと共に「これからもっと気 を付けるようにしたい」が3 9 .S% となっておりムンテラと同じことだと思

う J という回答は1 4 .5% となっていた。

( 3 )   ムンテラとパターナリズム

アンケート調査結果でも判るように,患者のためによかれと願う心から発し た,つまり善意のパターナリズムを基盤にしたムンテラ(ムント・テラピー〉

は,医師が患者に症状・診断・治療方針・予後を分かりやすく説明して理解さ せ,納得してもらうための「口頭での治療」として,日本の医療では重要な位 置を占めていた。

しかしながら,これまで行われてきたムンテラでは,医師がよく説明して ら「患者の同意」の部分はとかく省略されがちであり,インフォームド・コ ンセントの本質を見逃してしまう危険性があったと生命倫理懇談会は指摘して いる。「これからもっと気を付けるようにしたしリと回答した 3 9 .S% の医師 は,これらに対する反省がこめられていると推測できる。

2 .   医療現場における具体的課題

患者の同意を得る際に,医師が知らせるべき基本的事項は,1)病名と病気 の現状, 2) これに対してとろうとする治療方法, 3) その治療法の危険度 (危険の有無と程度), 4) それ以外の選択肢として可能な治療方法とその利 害得失, 5)予後,即ちその患者の疾病についての将来予測,などとされてい

る 。

「医師の説明義務と患者の真実を知る権利」から考えると事実を全て知ら せなければ,患者に嘘をついた」ことになる。しかしその原則論だけに従っ て , I  (診断が何であろうと)診断がついた時点で・は,必ず知らせなければなら ないJと単純に説明する医師はいないだろう。そのような行為は医師・患者間 の信頼に基づく新しい関係を求めようとするインフォームド・コンセントの理 念に反し医師自身が患者と共に病気と戦うリーダーとしての役割を放棄する に等しいからである。それどころか,患者が事実を知る権利を守るという名目 の下に,医師の落ち度を招かないことだけが主目的となった事務的な説明にな

りかねない。

ワ ム

(14)

実は,患者には「事実を知る権利」があると同様に今の時点では,事実 を知りたくない,知らされたくない」という権利も存在するのである。患者が 望んでいるのは,最善の医療を快適な環境で受けたい,病気であっても可能な 限り通常の社会生活を営みたいという点にあり,インフォームド・コンセント はそれを達成するための保証である。

医師は事実の説明を受け入れる心の準備ができていない」可能性を検討 し話すタイミングと話し方を考える必要がある。説明した上で納得してもら うためには,患者が気安く質問できる雰囲気を医師が持つことが必要であり,

医師が患者の質問を待てる余裕ある態度を示すことが前提であろう。そして,

説明に対する患者の受容能力と患者の心理反応を予測しアフター・ケア・シ ステムを作っておくことが大切である。

平井はムンテラの果たす役割に付いて,1)患者に正しい医療上の情報を与 えること, 2) 患者の精神的安定を起こさせること, 3)治療に対する患者の 努力を促すこと,4)患者と医師の信頼関係の樹立を図ること,の 4 点を挙げ ている。

生命倫理懇談会が指摘したように, これまでのムンテラは大きな欠点を持っ ていたかもしれない。しかし日本の社会文化に受け入れやすい医師・患者関 係を成立させていたという側面は評価に値する。今日の医療状況は,そのムン テラの時間さえ医師や患者から奪い去ってしまったが,家族全員の持病,気 質,遺伝的素因などを知った上で,家族の健康管理をしてくれる「町内のかか りつけの先生」のムンテラは有効に機能していたと思われる。確かに,ムンテ ラを介した医師・患者関係においては,黙示の同意による医療行為が多かった であろうと推察される。しかしながら,それだけを理由にムンテラを捨て去る のではなく,その黙示の同意を明示の同意へと切り換える具体的手続きをムン テラに導入することが合理的であると考える。説明を受け入れる心の準備がで きているか否かを常に自問し準備状態の程度に沿って説明方法を定め,理解 の程度を測定しつつ,何度でも繰り返し行われる医師のムンテラが,医師と患 者に「事実に関する情報」の共有をもたらすのである。西欧諸国では自己の葛 藤を解決するために意志決定を行うのに対して,日本においては全体の調和を 保つために意志決定を行う傾向があることは既に述べたが,医師が付き添った

‑ 2 2 2 ー

(15)

その情報共有の過程こそ,日本人に親和性の高い形式で明示の同意を得る道で あると考える。

その際,患者も以心伝心的コミュニケーションを期待することなく,医師・

看護婦・その他のスタッフに積極的に話しかけることが必要であろう。非言語 的コミュニケーションで伝わる事柄と明確な言語を通して伝えるべきものとを 峻 別 す る 必 要 が あ る 。 究 極 の 所 , 患 者 に 話 す ・ 医 師 に 話 す ( t a l k  t o )   とい う 一 方 通 行 か ら , 患 者 と 話 す ・ 医 師 と 話 す ( t a l k  with)  と い う 相 互 交 流 的 な対人関係を構築していくことが,インフォームド・コンセント確立の鍵とな

るであろう。

参 考 文 献

1)阿部正和・ 説明と同意"再考.メディカル・ヒューマニティ, 5  ( 2 ) ・ 29‑37 , 1 9 9 0 .  

2) 土居健郎: I 甘え」の構造.弘文堂,東京, 1 9 7 1 .   3) 平井信義:ムンテラの科学(文献 1 2 より引用)

4)星野一正:医療の倫理.岩波新書,岩波書庖,東京, 1 9 9 1 .  

5  )木村利人:インフォームド・コンセントをめぐって一一バイオエシックスの視座か ら一一.メデイカル・ヒューマニティ, 3  ( 4 )   :  4 2 ‑ 4 6 ,  1 9 8 8 .  

6) 厚生省健康政策局医事課編:生命と倫理について考える一一生命と倫理に関する懇 談報告一一.医学書院,東京, 1 9 8 5 .  

7)水野肇:インフォームド・コンセント 医療現場における説明と同意一.中 公新書,中央公論社,東京, 1 9 9 0 .  

8  )宮下弘子,大田絹枝,太田保之:悪性疾患患児をもっ母親への対応に関する一考 察.小児看護(印刷中)

日)中川米造監訳:医療人類学 リブロポート,東京, 1 9 8 7 .   ( F o s t e r   GM.  & 

Anderson BG.:M

d i c a lan  t h r o p o l o g y  .  ) 

1 0 ) 永田勝太郎・全人的医療のための方法論.看護展望, 1 0 ・ 70‑8 , 1 1 9 8 5  

1 1)日本医師会生命倫理懇談会: I 説明と同意」についての講演・質疑速記録集. 日本 医師会,東京, 1 9 9 0 .  

1 2 ) 日本医師会生命倫理懇談会: I 説明と同意 j についての報告. 日本医師会,東京,

1 9 9 0 .  

1 3 ) 日本医師会生命倫理懇談会: I 説明と同意」に関するアンケート集計結果報告書.

‑ 2 2 3 一

(16)

日本医師会,東京, 1 9 9 0 .  

1 4 )大熊由紀子:現代医学の混迷に応える新学問群.朝日ジャーナル, 1 9 8 8 . 2 . 1 9 .   ( 文 献 1 1 より引用).

1 5 )太田保之,中根允文編:慢性障害者の看護一一患者と家族の心と身体,その包括的 理解を基にして一一ヒューマンティワイ,東京, 1 9 9 0 .  

1 6 ) 岡谷恵子:手術を受ける患者の術前術後のコーピングの分析 看護研究, 2 1   :  5 3 ‑ 6 0 ,  1 9 8 8 .  

17)織田敏次監訳: J 患者との対話.へるす出版,東京, 1 9 8 6 .   (Calnan  J . :   Talking  with p a t i e n t s . )  

1 8 ) ラドフォード, M,中根允文:意志決定行為 比較文化的考察 .ヒューマン ティワイ,東京, 1 9 9 1 .  

1 9 )砂原茂一・医者と患者と病院と 岩波新書,岩波書庖,東京, 1 9 8 3 .   2 0 )上田 敏・リハビリテーションを考える.青木書庖,東京, 1 9 8 3 .  

2 2 4一

図 1 医療構造の変化と対象領域の変動 急性疾患モデル ψ  臓器中心主義・一一病気・病巣部との対決4 CURE 自然科学的態度救命・延命投術の進歩 慢性疾患モデル 愚者中心主義一一ー病める患者の理解(包括医療) 4  CARE  人間学的心理学的態度 技術・物理的管理医療の進歩一→ リハビリテーションの進歩一」 4  │  生命の操作 ↓  臓器移植・遺伝子操作 健康モデル 健康・福祉中心主義一一予防・健康の創造 ι  SELF CONTROL  人間学的,心理学的態度 │ 相 互 参 加 型 ト ミ (

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