6 章医療創造と患者
ーインフォームド・コンセントを中心にー
はじめに
太 田 保 之 (医療技術短期大学部教授)
宮 下 弘 子 (医療技術短期大学部講師)
近年,医学や医療に関するマスコミの報道量は著しく増加しているが,それ らの報道は大きく 3 分類できそうである。第 1 は,新しい医薬品が次々と開発 され,高度な医療技術が急速に進歩発展したことによって医療供給状況が変化 しさらに高齢化社会を迎えて医療需要状況にも大きな変動が起こり,膨大に なった医療費をどのように処理するのとかという「医療経済学」の話題であ る。第 2 は,癌などの重篤な病気を告知するか否か,あるいは脳死判定や臓器 移植などに関連した「医療の倫理」についての話題である。そして,第 3 に は,読みやすく判りやすい家庭医学記事や医療情報記事,あるいは一般向けの 薬物解説書など「医学・医療情報の公開」に関する話題である。
これらの現象は,医学や医療が医師によってだけ論議される特権事項ではな く,国民にとって次第に身近な事柄に成りつつあることを示すと同時に,医療 を供給する側と受ける側の両者に,今日までの医療の仕組みが抱えていた矛盾 と限界の解決を迫っているものとして捉えておく必要がある。
本稿では,それらの話題の中から,新しい医師・患者関係を構築するキー ワードとして幅広く認知されるようになった「インフォームド・コンセント」
という医療倫理に検討を加え,新しい医療の創造を模索してみたい。
1 節 医学の発展と医療現場における人間関係の変遷
医師・患者関係の変遷は,図 1 に示したように,医療の到達レベルを 3 段階 に区分して検討すると判りやすい。
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図 1
医療構造の変化と対象領域の変動 急性疾患モデル
ψ
臓器中心主義・一一病気・病巣部との対決
4 CURE 自然科学的態度 救命・延命投術の進歩
慢性疾患モデル
愚者中心主義一一ー病める患者の理解(包括医療) 4
CARE 人間学的心理学的態度
技術・物理的管理医療の進歩一→
リハビリテーションの進歩一」
4
│ 生命の操作
↓ 臓器移植・遺伝子操作
健康モデル
健康・福祉中心主義一一予防・健康の創造
ι
SELF CONTROL 人間学的,心理学的態度
│ 相 互 参 加 型 ト ミ
(永田 . 1 9 8 5 . 著者改変)
1 . 現代医学の発展と医師・患者の役割関係 ( 1 ) 科学としての医学
現代医学は人間の身体を細分化することによって進歩発展してきた。病気と は身体各臓器の細胞レベルの障害であり,その細胞レベルの障害の本態を明ら かにすること(生物学的な確定診断)が治療方法の確立に結び、つくと考えら れ,実験的な分析と実証を重ねることによって,医学は飛躍的な発展を遂げ た 。
医師が身体を臓器別・細胞別へと細かく区分して分析する視点に立つ限り,
病気に催患している人聞の個別性や多様性は無視されざるを得ないという欠陥 をこの時点から内包していた。しかしながら,患者は「人格のない無名性の存 在」であった方が,医師の誤診や誤治療を防ぐにはょいとさえ考えられていた のである。
従って,これまでの医学教育は冷静な客観的態度を常に維持することを教え てきた。つまり,素人である患者の訴えは「暖昧なものである J ことを前提に しその訴えの中から客観的な症状や所見を得て正しい診断に到達するには,
患者の感情や主観的なものは全て排除することが正しいと教えてきた。医師が 患者のひととなりに触れることは禁危であり,身体の部分臓器から得られる所 見を把握することだけに集中すべきであるとされた。それに徹する医師こそ,
腕は確かで尊敬に値する医師として評価された。
( 2 ) ヒポクラテスの誓い
医師の心構えは,ギリシャ時代から引き継がれてきた「ヒポクラテスの誓
L リに求められていた。そこには私の能力と判断に従い,患者に利益にな
ると思う養生法をとり,悪くて有害な方法は決してとりません。頼まれでも死
に導くような薬は与えません。女と男,自由人と奴隷など,身分によって差別
をしません。医療に関すると否とに関わらず他人の生活についての秘密は守り
ます」という倫理が謡われている。 1 9 4 8 年の世界医師会によるジュネーヴ宣言
0968 年のシドニー総会で修正)をみても私は良心と尊厳をもって医業に
従事します。私は第 1 に患者の健康について考慮します。私は受胎の瞬間か
ら,人命を最大限に尊重します。たとえいかなる脅迫があろうとも,人道の法
則に反して医学上の知識を用いることはしません」と宣言されている。
( 3 ) 患者の役割
役割理論で有名な社会学者ノ号ーソンズは,患者は社会からある役割を期待さ れ患者もその期待に沿って行動するという「患者の役割」について次のよう に述べている。1)患者は自分が病気であることを受け入れ,できるだけ早く よくなりたいと望んでいる義務があり, 2)専門家の援助を求め,よくなるよ うに医師に協力する義務がある。そして,これらの義務を遂行すれば,社会か ら「模範的な患者」として認められ, 1) 日常の社会的役割の責任が免除さ れ 2) 回復するまで治療を受けることができる。そして,患者の病気は患者 の責任によるものではなし患者の決断や意思によって回復するものであると は期待されない。つまり,医師に対する依存行動が承認され,通常の社会的自 立から退行する権利が保証されることになる。
ヒポクラテスの誓いにしてもジュネーヴ宣言にしても,人道的な立場から医 療行為を選択決定するのは医師の側であり,患者は人道的・献身的に尽くす医 師に全て託した方が最善である,という「善意のパターナリズム J , I 医師にお まかせ」を基調として医師・患者関係が成立していた。そのような時代におけ る患者の社会的立場を示したのが,パーソンズの「患者の役割Jなのである。
2 . 急性疾患モデルと積極・受身型の医師・患者関係
病気の種類によって治療到達目標は当然、異なり,パーソンズ流の「患者の役 割Jと医師のパターナリズムがほどよく組み合わさって極めて良好な結果をも たらす医療の到達レベルもある。
例えば,急性肺炎や胃潰療の穿孔による吐血など「急性疾患モデル」として 対応が必要な病気の場合,医師は積極的・能動的な態度で病巣部と対決するこ
とが求められるのに対し,患者は医師が告げる診断・治療・養生方法を受身的 立場で守ることが求められる。
患者の生命を直接奪おうとする病気に対しては,救命救急的処置がなされね ば全く意味がない。その時には医師の視点は常にその病む臓器に向けられてお り,パイタル・サインなど生物学的情報以外の情報(姓名・生活史・性格・価 値観・職業・学歴など,患者個人歴や社会的背景因子〉が問題になるような状 況はほとんど起こらない。つまり,患者は単に生物学的存在でいいわけであ る。そのような救命救急的医療においては臓器中心の医療」とならざるを
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